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ハルカトミユキ ハルカ(ミュージシャン)
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2012年。大学を卒業したその年に、CDデビューが決まった。
レコード会社に音源を送ったことがきっかけで、2年弱の育成契約を経てのデビューだった。
漠然と、「会社員にはならない」と小さい頃から思っていた。
中学時代、勉強も運動もそつなくこなすような優等生の自分と、本当は誰とも仲良くできない醜い感情を持った自分との落差に悩んでいた時、バンドに出会った。その人たちが鳴らす音は、巷で流行っているどんな音楽とも違った。
「こんな醜い感情を抱いているのは自分だけじゃないんだ。こんな言葉を歌ってもいいんだ」
そう思った。そこから詩を書き始めた。
2013年、メジャーデビュー。
期待された。いろんなチャンスがあった。デビューしてすぐに出演が叶ったフェスも、ラジオのレギュラーも夢のようだった。大きな会場でライブもした。でも、23才だった私は子供すぎて、他人とのうまいぶつかり方がわからなかった。
2014年、期待に応えなければいけないともがいた。ディレクターと喧嘩し、消耗する日々。自分の才能のなさで、与えられたチャンスのその先を切り拓くことができなかった。
2015年、あたりからの記憶がない。
書いても書いても曲が却下されるようになった。
メールも開けない、電話にも出られなくなった。
抗不安剤を飲まないと打ち合わせにいけなくなった。
自分の歌が、自分たちの作品が、私の手元から遠く離れていくように感じた。
それはまるで、誰かに、何かに、嘘をついているような感覚。
自分の中から生まれてくるものと、周りの声との狭間でもがくうちに、100%濁りのない気持ちで「歌を聴いてほしい」と言えなくなっている自分がいた。
それと比例するように、最初に私たちの周りに集まってきてくれたお客さんは離れていった。
歌詞が書けないなら、書かなくていいよ。他の人に書いてもらうから。当時のスタッフに言われ、私は自分の存在意義を見失った。
初めて、やめたいとミユキに言った。
でも、ミユキが私を引き止めた。
「このまま終わるわけにはいかない。もう少しやってみよう」
半ば強引に、私に巻き込まれてこの世界に入ったミユキが、はっきりとそう言った。
あの言葉がなかったら、ハルカトミユキはそこで終わっていた。
2016年から、壊れかけた私を引っ張り上げるようにしてミユキが曲を書き始めた。
フルアルバムを2枚リリース。47都道府県をまわり、野音にも3回立たせてもらった。
『17才』という曲がアニメの主題歌になった。
2019年、デビュー以来ずっとお世話になっていたソニーミュージックとの契約が終了。
ベストアルバムを出した。
2020年、コロナでツアーが中止になった。
コロナ禍というものは、皮肉にも、活動について考え直す機会を私たちに与えてくれた。
このままのやり方でやっていていいのか。
もっと考えるべきこと、やるべきことがあるのではないか。
事務所という安全地帯に甘えながら、時間を浪費して、一体私は何がしたいのか。
自問自答の果てに、2022年、長年お世話になった事務所から独立した。
10年間のうち、9年間は事務所に所属し、さらにそのうち8年間はメジャーレーベルに所属していたことになる。
10年間で、数え切れないほどの人と出会い、そして別れた。私はずっと助けられて生きてきた。ずーっとずーっと助けられてきた。初めて出会ったディレクターも、マネージャーも、みんな別の会社に移り、サポートメンバーも何度か入れ替わった。ハルカトミユキという電車が駅に着くたびに、人々が乗り入れてきて、数駅先で降りていく。また違う誰かが乗ってきて、そして降りていく。そんな感じ。
デビューから一度も離れずに見続けてくれているスタッフは、一人もいない。
でも遥か後ろのホームから見守ってくれている人はきっといるし、次の駅で会える人もいるはずだ。走ることさえやめなければ。
最初から今までずっと同じ電車に乗っているのは、ミユキだけだ。
ミユキは、こんなどうしようもない勝手な人間を、見放さず、ついてきてくれた。
奇しくも、震災直後に始まり、コロナ禍で迎えた10年だった。
どちらも音楽やエンターテイメントに対して向けられる言葉は同じ。
「不要」。
人の命を繋げないなら、歌なんて歌う意味がないんじゃないか。
震災翌日、確かにそう思った。
でも。私が活動を続けてこれた大きな理由がある。それは、
今にも世界から消えてしまいそうな危うげな女の子が、一人きりでライブにきてくれたこと。
そんな子たちが、数年後、見違えるような笑顔を見せにきてくれること。
仕事で疲れ切った男性が、背広姿でライブにきてくれたこと。
そんな人たちが楽しそうに腕を振り上げてフロアではしゃいでくれること。
自分のおじいちゃんくらいの年齢の方が、チケットを買って小さな会場に足を運んでくれたこと。
一人で来ていた女の子がライブを通じて恋人と出会い、夫婦になって二人で戻ってきてくれること。
みんなが、生きていてくれることです。
それが、音楽をやっていて一番嬉しい。
10年前の私に言うよ、意味なくなんてない、と。
そんな人を一人でも増やしたい。
それが、10年間で見つけた今の私の夢。
中学生の私が救われたように、いろんな複雑な感情を許すこと。
歌にはそれができると、10年、いや、20年前から信じている。
欲を言えば、自分たちの力で、野音を満員にしたい。
武道館だって満員にしたい。
でも手段であって目的じゃない。
だけど今の夢があれば、なんだか辿り着ける気がする。
10年間、ありがとう。