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なべとびすこ(歌人/会社員)
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就活で50社の面接に落ちて、ようやく受かった会社で働いていた。22年間、真面目に勉強して真面目に部活をして真面目にバイトをして、真面目に就活をして、そのまま真面目に働くつもりだった。同世代がよく言う「会社員になるのが嫌」という気持ちも薄く、働くのはとても楽しみだった。
入社してから半年以上経ったころ、やることがなくなった。出社しているのにやるべき仕事がなく、何をやっていいかもわからない。自分から何かを提案しようにも方法がわからない。
会社の経営が厳しい状態なのに、お金をもらって何もしていない自分が恥ずかしく、毎日周りの目に怯えながら会社に行った。やるべき仕事は最初の数十分で終えて、あとは数時間、睡魔と戦いながら「何かをしているフリ」をしていた。自分は価値のない人間で、生きていると恥ずかしい人間だ、という気持ちが日に日に膨らんでいった。転職しようにも実績もないし、半年でやめた人間を雇ってもらえるとも思えない。新卒で50社落ちた私が半年間なにもせずにやめたら、次は何社面接を受ければいいんだろう。
仕事がない人間の実働8時間は途方もなく長い。その時間で自然と自分を責める時間が増えていった。気が狂うほうが楽だな、と毎日思っていた。誰も私を殺してくれないし、世界は滅亡しない。自分を責めることに疲れて、いつか北海道に住んで、小さな古本屋を建てようと思った。そう思っている間だけは前を向ける気がした。それは前を向くことではなく、遠くの空を眺める現実逃避のようなものだとはうっすら分かっていた。
昼間にほとんど頭を使っていないから、通勤時間で本を読めた。そのなかで出会った穂村弘のエッセイに夢中になった。よく行く古本屋で店長から好きな作家を聞かれて、「穂村弘さんです」と答えた。すると、「うちの常連さんが、穂村弘さんと対談もしてたミュージシャンのハルカトミユキ?って人にハマってるって言ってたよ」と教えてもらって、とりあえず名前だけメモした。
なんとなくタワレコに寄ったとき、ハルカトミユキという名前を見つけた。「シアノタイプ」の発売直後で大きく展開されていた。一曲も聴いていないミュージシャンのアルバムを買ってぜんぜん好きじゃなかったら嫌だな、と思って、値段を見て「虚言者が夜明けを告げる。僕たちが、いつまでも黙っていると思うな。」を買った。
家に帰ってCDをかけた。曲も歌詞もどんぴしゃで好きだった。毎日毎日、気が狂うほうが楽と思いながら、真面目に出社している自分の気持ちを重ねた。音楽で救われるような気分になったのはほとんどはじめてで、数日後にはそのとき出ていたCDはとりあえずぜんぶ買った。
半年後には、フェスでハルカトミユキを見るために埼玉まで行った。翌月、3rd e.p.で唯一インストアライブで聴けなかった「かたくてやわらかい」を聴くために平日に半休を取ってひとりで名古屋のライブに行った。新幹線で読む本がなくて、グッズとして出ていた歌集を買った。短歌にはすでに興味があり、入門書まで読んでいたが、歌集は難しそうだからとずっと避けていたので、人生ではじめての歌集だった。
1ヶ月後には短歌をはじめていた。そこからはハルカトミユキをの音楽と、自分で表現するようになった短歌に夢中で日々が過ぎていった。どれだけ悩んでいても、ライブに行けば2人が戦うように演奏していているのを見たら、自分も戦えると思えた。2人が変化する姿を、進化する姿を見るたびに前を向けた。
2年後には短歌のカードゲームを出した。それ以降はテレビや新聞、雑誌でも取り上げられることもたまにはあった。転職を二回したものの、真面目に会社員を続けながら、昨年は短歌カードゲームの出版も叶った。ようやく短歌の原稿依頼や講師依頼も増えてきた。何かひとつ、新しい景色を見るたびにハルカトミユキがいなかったら、この景色はぜんぶ無かったんだなと思う。
未だに私は、9年前にハルカトミユキに出会わず、短歌をはじめなかった世界線にいる自分を想像することがある。その世界線にいる自分に向けて、短歌を詠んでいる。
ハルカトミユキに出会って9年、短歌を初めて8年経った。2人のおかげで出会った人や歌、本、経験は数えきれない。
一方で、なかなか短歌が上手くならない自分に、最近ずっと怒っている。短歌をはじめてすぐ、歌集をいつか出版したいと思っていたが、気付けば諦め気味になっていた。自分より短歌が上手い人はたくさんいるから、楽しむことに全力を尽くした。そんなことをしている間に、いろんな人が夢を叶えていく背中を見送った。結局私は最初に叶えたかった夢を叶えていないことに茫然とした。
なんでもっと頑張ってこれなかったのかな、と思う。ずっと短歌を楽しんできたけど、頑張ってはいなかった。現実逃避の延長ではじめた短歌だったけど、今は人生だと思っている。
そろそろ本気で戦わなければいけない。私の魂はどんどん薄っぺらくなっていく。自分という人間の安っぽさから、もう目を背けたくない。体力のない私だけど、まだ戦える。