サトC(素人ブロガー)
10年前。
何があったかすぐに思い出せない歳になってしまった。
2012年といえば、震災の翌年、社会人として2年目の年だ。
ハルカトミユキとの出会いはこの翌年、初めてライヴを見たのはその更に翌年だ。
それは忘れもしない2014年2月8日の渋谷。
真っ白な、というにはあまりに暴力的な大雪の中、僕はなんとか会場である渋谷クアトロに辿り着いた。
「雪山の中の山小屋」状態(ミステリなら死人が出てる)の会場で見たハルカトミユキが忘れられない。
もう一つ忘れられない光景は、そのまた翌年の2015年10月3日。"公約"であった日比谷野音のフリーライヴ。3000人を集めるため、文字通り倒れるほど懸命に走ったハルカトミユキ。
当日は都合で開演ギリギリで会場に入ったが、会場を埋め尽くした人たちを目の当たりにした瞬間、それだけで涙してしまった。
他にもある。コロナ禍が始まった瀬戸際で大阪に遠征してライヴを見たこと(ハルカトミユキの観客は普段からソーシャルディスタンスなので大丈夫だった)、もどかしい世の中で配信ライヴを楽しんだこと、当時付き合っていた彼女と別れてから初めて"RAINY"を聴いて引くほど泣いたこと。
まだまだあるが、悪い癖で文章が終わらなくなってしまうので、ここまでにする。
こうして思い起こしていくと、なんだ、沢山の"忘れられない"で溢れた10年だったじゃないか。
夢を諦めてばかりだった自分の10年が恥ずかしくなってしまうくらい、ハルカトミユキはひたむきに走り続けた。大袈裟かもしれないけど、その姿が何度も僕を支えてくれた。
思い出したら、そんな場面ばかりだった。
過去を悔いても手遅れなら、新しい十字路から夢に向けて一歩踏み出そう。諦めることは、もう十分上達した。
そんな事を思わせてくれたハルカトミユキのために。
自分にできることといえば音を聴き、言葉を受け止め、ライヴへ足を運ぶことくらいだが、それが少しでも2人の力に、恩返しになってくれれば幸いだ。