ハルカトミユキ10周年ライブ『十字路に立つ』特設サイト

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たかぎ(エディター)

ハルカトミユキ10周年ライブ『十字路に立つ』特設サイト

2022/10/01 10:58

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人生で初めてライブを聴いたのは初ワンマンの梅田シャングリラでの「ドライ・バニラアイス」。初めてファンクラブに入ったのも、サイン会に行ったのも、人にCDを貸したのも、全部ハルカトミユキでした。10年より少し前のこと。


15歳からお世話になった恩師のもとを去ったのが24歳で13年前。友人、仕事のツテ、住むところ、すべてなかったころ。心が空っぽのまま、無理矢理フリーランスのデザイナー、エディターとして独立して数年が経った10年前は小さな安アパートを借りてラジオをずっと聴いていました。その日を生きるので精一杯なときだったから、ハルカトミユキの音楽にはずっと支えてもらいました。ハルカさんとミユキさんに会いに行けるならどこにでも行ったし、すべてのスケジュールはハルカトミユキ中心でした。関西のライブはほぼすべて行ったし、名古屋や東京も頻繁に行っていました。


この10年。親を亡くしたり、不眠症がひどくなったり、鬱になったり、パニック障害になったり。仕事は順調でお金も増えたけれど、人付き合いも増えてしんどくて、体調のことは人には言わず、ずいぶんな忙しさで身も心も削られてきた10年。最後の日比谷野音でもたしか過呼吸みたいになってスタッフのかたにドリンクを持ってきてもらって助けてもらいました。お礼の手紙を書こう書こうと思って、書けなかったこと、今でももやもやしています。そんなに明るい10年ではなかったし、この数年はふたりの新しい曲を聴くことも少なくなったし、ライブに行くことも少なくなって、きっと顔も忘れられちゃったと思います。でも、ずっと見守っているし、昔の曲はずっと聴いています。新譜も必ず聴いています。いつだったか、8月20日に梅田のタワレコでサイン会がありました。8月20日は私の誕生日。サイン会が楽しみで、実は誕生日なんですとお伝えしようと思っていたのに、誕生日が大嫌いな私はその日、結局鬱っぽくなって外に出られませんでした。初めて逃したサイン会。インストアライブが始まる時間、ベッドでめちゃくちゃ泣きました。


寺山を開くと、たしかハルカさんの机にあった寺山全集を思い出すし、だれかの短歌集を手に取ればハルカさんの短歌と比べてしまうし。全然明るくないけれど、そんな10年でした。ネガティブな感じだけれど、いろいろな人にとっても感謝しているし、そのなかにはハルカトミユキが出会わせてくれた友人もいます。ふたりが試行錯誤する姿にずっと元気付けられて、なんだかんだ生きてこられたことがまずは10年間の成果です。


夢。夢なんてなくて、周りに迷惑かけるのが嫌で、しぶしぶ生きています。他人から夢なんだねって勘違いされるのは、ずっと小説を書いていること。有名になりたいとか思わないけれど、なにか残せたらときっとどこかで思っているから書いているし生きているのだと思います。ハルカさんがものを書く人だからずっと追いかけてきたことも大きいです。ハルカさんが文学、文芸と近くにいてくれたことで、孤独を感じなかったかもしれません。小説はこれからも書いていたいし、いつか小説をハルカさんに読んでほしいです。ハルカさんがふと書店で手に取ってくれたら、なんて思ったりします。


きっと質問の意図は、ハルカトミユキ関係なく、パーソナルな10年間についてだと思うけれど、そもそもそれがハルカトミユキとは切っても切り離せないので、こんな長ったらしい文になりました。書ききれないいろんな思い出が他にもたくさんあるけれど、とりあえずまるっとまとめると、本当にハルカさんとミユキさんに感謝しかない10年間でした。ほんとに早い。次の10年、ひとりよがりだけれど、私は小説を書いていたいし、おふたりにも音楽をつくっていてほしいです。

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